00020001

00020001

 

 地図 

map

 山行基本情報 

山名/山域 大津の道・崇福寺~三井寺(古代史ロマンクラブ) 
ジャンル ハイキング 
日程 2015年5月31日(日) 
CL 会員番号1705 
参加人数 25名(男性12名、女性13名) 
文責 会員番号3229 

 山行個別情報 

天気 晴れ時々曇⛅ 
アクセス マイクロバス 🚌
コースタイム 名古屋駅7:15==9:50百穴古墳群…志賀大仏…崇福寺跡== 榿木原遺跡…南滋賀町廃寺跡==近江神宮…12:30皇子山古墳公園(昼食)==大津宮跡==弘文天皇(大友皇子)稜==大津市歴史博物館==園城寺〈三井寺)==18:20名古屋駅⌚
概念図・地図 map 

 紀行文 感想/記録 

紀行文

古代史ロマンクラブの大化の改新・壬申の乱シリーズも今回で第3回目をむかえ、ますます佳境に入ってきた。 今回の訪問地は大津、1350年前へのタイムスリップの旅に25名胸をときめかせてバスに乗車。

AD663年、倭(対外的な正式国名が日本となるのは701年くらいから)・百済連合軍は白村江の戦いで唐・新羅連合軍に惨敗。 667年に中大兄皇子(後の天智天皇)は都を飛鳥から大津に移したが、唐の倭国侵攻への備えも遷都の理由のひとつと推測されている。 天智天皇の崩御後、大海人皇子(天武天皇、天智の弟)が672年の壬申の乱にて大友皇子(天智の子、明治3年に弘文天皇と追号)を破り、都を飛鳥に戻すまでのわずか5年間ではあるが近江大津京は倭国の中心であり、今回巡る史跡の多くが天智天皇と強いゆかりを持っている。

まずは百穴古墳群にて当時の朝鮮半島からの渡来人の生活をしのび、志賀大仏の優しいお顔に今回の旅の安全を祈る。 崇福寺跡、天智天皇が大津京鎮護の為に創建した寺院だが、残された大きな礎石から当時の大伽藍が偲ばれる。

榿木原遺跡、南滋賀町廃寺跡、そして天智天皇をまつる近江神宮を経て皇子山古墳公園にて昼食。 古墳の頂上から眺める琵琶湖はすばらしく、対岸には近江富士(三上山)がかすんで見える。

昼食後近江大津京の中心地、かって天智天皇が政務をとったであろう大津宮跡へと向う。 大津宮は長期間その所在地が特定されていなかったが、S54年の錦織地区の発掘調査で幻の大津宮の位置が特定された。 当時の面影は無く、宅地分譲地で売れ残った区画地のような空き地が史跡公園になっているが、住宅地の中で肩身を狭くしながら存在を誇示している姿が実に痛ましい。

次に弘文天皇稜を経て、大津市歴史博物館にて学習後、三井寺(正式には長等山園城寺)に向かう。 園城寺といえば比叡山延暦寺との対立と抗争が有名だが、もともとは壬申の乱で没した大友皇子の子の大友与多王が父の菩提を発願し、天武天皇が建立を許可したものである。 金堂、釈迦堂、鐘楼など国宝・重文が甍を連ね、その歴史の重みに圧倒されて我々の旅も終わりを告げる。 

近江大津京は志賀の都とも呼ばれ、第三高等学校ボート部員が作詞し三高寮歌として長年愛唱された『琵琶湖周航の歌』の1番の最終フレーズにて『…志賀の都よいざさらば』と湖上からの別れを歌われているが、我々はバスの車上から不謹慎にも缶ビールを片手に都に別れを告げながら、7世紀から21世紀に戻ったのであった。 

 写真  📷

スライドショーには JavaScript が必要です。