と き:2017年4月27日(木)19:00~20:30

ところ:名古屋市教育館 講堂2F

講 師:元北飛山岳救助隊隊長 内野政光 氏

演 題:「北アルプス山岳救助50年の思い」

本日こんなに大勢の方の前でお話しするのは初めてです。かなり緊張しております。

私は北飛山岳救助隊に延べ34年間携わってきました。完全な民間ボランテア組織です。初期は30名ほど。岐阜県遭難対策協議会に所属しています。その後に岐阜県警の山岳警備隊が発足し、いまは事故のとき県警隊の要請で年間200回ほど救助や捜索に出動します。

 平成7年6月18日ひとりの女性から電話があり、「息子(32才独身)が山から1週間経ったが戻ってこない。捜してください」と依頼がありました。調べてみると登山届は出ていないが、西穂山荘に泊まったことが判明、天気は翌日から前線が活発で長雨とのことで他の登山者に混じりその男性も独標を往復し、山小屋に荷物を取りにより、麓の新穂高温泉に電話を入れて下山した。(後から電話先が分かった)

 外(そで)ヶ谷では過去に女性2人のパーテイを救助したことがある。どうしても見つからず、1週間後に救助打ち切りとなった。ところが1週間以上経って、下流で砂防工事の作業員が一人を発見、その後北飛隊と警察隊の合同捜索救助でもう1名も救助することができた。遭難から12日目でした。女性は場所を動かずチョコレートだけを少しずつ食べ、救助を待ったのが幸いした。 <チョコレート事件と言われた>

 この前例から男性も生きている可能性があると必死に捜索したが見つからない。母親からも「何とか捜してください」と強い要望があり午後4時半ごろ三つ目の滝を見下ろすと白い物が見える。それはコッヘル、ラーメンの残り、ザック、シュラフなどが散らばったものでした。だんだん暗くなる頃に別の滝壺見ると男性の遺体が浮いているのが見えました。すぐ県警へ無線を入れ、男性の服装、髪、身体の特徴などから本人と確信。

 陽が落ち暗くなりましたが、遺族の強い期待に応えるため危険を厭わず遺体の搬出収容にかかります。急斜面真っ暗の岩壁を4段階で釣り上げ、車のある場所に収容したのが午後10時頃でした。

 遺留品から判明したのは、6月12日~14日の3日間、雨と濃霧の中で生きていたことが分かった。 “お母さん、ごめんなさい” 残されたメモで先立つ不幸を詫びる文面は人々の涙を誘いました。遭難の原因は、救助が来るのを待てず、動いたことで滝壺に落下したと推定されます。悔やまれるのは本人が自宅に“1晩泊まってから帰る”と連絡さえしておれば、13日にも救助隊が結成され、間に合った可能性があることです。捜索依頼があったのは遭難してから5日目だった。時間の浪費が惜しまれます。

 事故があったら、どんな場合もすぐ警察に連絡することが大事です。山行中に事故に遭遇したときも同様、携帯電話やアマ無線で長野県側や岐阜県側でもよい、通話可能な相手に捜索救助の依頼をすることです。

なお秩父宮妃殿下をオカミサンと呼んだ“上高地の常さん”の内野常次郎は祖父の弟です。  

                            (報告:112久保田孝夫)